<現実と夢>が溶け合う時間——
いま自分が信じるものを
見つめなおす、
逃避と目醒めの物語
「俺のこと、ここで匿ってくれない?」血まみれで息を切らす男・ショウに声をかけられたタエコ。生気がなく虚ろな瞳の彼女は、部屋に入る彼に「私の最期、綺麗に撮ってください」とお願いする――。何から逃れてきたのか。その願いは本当に望んでいるものなのか。二人は時間を共有するうちに、夢とも現実ともつかない、お互いの感情と記憶が交ざり合う奇異な世界に引き込まれていく。タエコが、ショウが、目を背けてきたものを前に、表情を変えていく。何が本当で嘘なのか、当たり前と思っていたあの安らぎも、この苦しみも。
イトウハルヒ
少年と少女が紡ぐ詩のような台詞、生活の匂いのしない空間。
切り替わる場面の1つ1つが綺麗すぎて、気持ちよくて、儚くて、曖昧で、
お客の私がいろんな想像と解釈を巡らせていました。
観終わった今、実は現実も夢のように曖昧で、
ただ自分で見たいものを都合よく解釈しているだけで、
夢と現実の間なんて明確にわからないのかもしれない、
などと想像しています。
彼と彼女は出会って、夢と現実のどちらを生きることにしたのだろう、
どちらもわからないのなら、私はどこかで彼女が少しでも都合の良い夢を見られてたらと願います。
岩谷健司
謎な展開と映像美にスッと引き込まれて行くうちに、ふと、自分が若かった頃の閉塞感や絶望感、ずっと曇天続きで鬱々としていた日々が甦ってきて、まるであの頃に観た悪夢の中を彷徨っているようだった。
片桐航
主人公ショウがみている夢を観ているのか、
彼が過ごす現実を観ているのかわからなくて
最初は探ろうとしたけど探ってる自分がチープに思えるくらい
夢の中の表現が上手すぎて入り込めました。
何を理由に夢か現実かわからない状態になってしまったのか、
その部分についての物語回収もしっかりされていて時間以上の見応えがあった。
夢に「望んでいる事」という意味が入ってる事が
僕たちが生きているこの現実世界のミスリード。
それを疑った上でその一歩先にまで行った初めての作品だと思いました。
観終わった後に街を歩き、
以前ここに来た事が夢だったか現実だったか一瞬迷いそうになった時、
この映画に心ごと浸れたんだなと実感しました。
加藤綾佳
胡蝶の夢という言葉があるけれど、この作品はもっと、熱に冒された夜に見るかのような、まさしく彼岸花の夢。美しくも怖くて儚い、60分間の映像奇譚。
上村奈帆
美しさってなんだろう。
目に焼きついて、
トラウマのようにこびりついて、
脱いでも脱いでも元の形で残り続けるもののことを言うのだろうか。
この映画の大半の時間は、記憶と幻想だ。
それらだけが今の自分を形成している様に思える。
互いの温度に触れ、もし僅かでもそれを分かち合うとこができたなら、その瞬間は紛れもなく美しいのかもしれない。
小日向ひなた
ゆらゆらとした不確かな輪郭の中にある確かな孤独。
息を吸うほどに、もがくほどに、痛く苦しいのならば、何とも向き合わず、何も感じな い方が幾らかマシだ。生きていると、そんなことを思う瞬間が誰にでもあるはず。
逃げてもいい、眠ってもいい。
けれど、人は触れるとあたたかく、涙も確かな熱を持つ。
美しい音楽、けたたましいサイレン。 スッと世界に引き込まれて、ハッと目醒めるような作品でした。
目を眇めるような光では無く、暗闇にぼうっと射すような、柔らかく、図々しくない希 望の光がとても心地よかったです。
品田誠
小さい頃、空想とも夢想ともつかない想像に耽ることが好きだった。人に言えない自分だけの趣味だった。あれは今思うと起きながら見ていた夢のようなものだったのかもしれない。
大人になるにつれその時間は減り、明日はすぐに来るようになった。
『夢の中』を見ながらその頃の感覚を思い出した。全てが曖昧で、思念が唯一軸となる世界。通り過ぎた後、少しだけ世界の見え方が変わる不思議な世界。
生まれた想いを自由に羽ばたかせ、夢を旅することが時には必要なのかもしれない。
明日は少し、違う1日になる気がする。
諏訪珠理
自分の中に答えを探しても、それはきっと夢の中を彷徨う様なことで、人は他者や世界と向き合ったときに、やっと自分を見つけるのだと思った。
タエコとショウが触れ合った時、やっと彼女たちの目が合ったように感じて、確かにそこにある瞬間が見えました。
高橋広吏
最後まで監督の独特な世界観に引き込まれる幻想的な作品でした。
二人が出会い、互いの感情と記憶に触れ、理解し合う過程で生まれる美しくも儚い瞬間は、生きていることの証。
彼女の欠けた感情を埋めようとしている姿は、心を打たれました。
心の奥深くを探る旅は、きっと彼女が向く方角に未来があるのでしょう。
トクマルシューゴ
夢は現実ではないけれど、私たちが見ている現実にも夢や嘘が入り混ざっている。
何度起きても目覚めなかった日々。映画の終わりに「前」が現れ、やっと目覚めたと思ったのに、今も私は映画の中です。
西尾孔志
家の中/外ヅラの区別だけじゃなく、やれアバターやらアカウントやらと、
今を生きる私たちは小さく小さく自分を切り分けて、複数の顔で生活している。
素性のわからない女・タエコもきっと、
切り分けた顔をすり減らし、どこかに置いてきてしまい、
気がついたら自分らしい顔が一つも残ってなかったのではないか。
まるで機械か幽霊のようにうつろで顔のないタエコを演じる山﨑果倫の、
いよいよ最後の表情を見るためにこの世の全てがあるのかもしれない。
そういう贅沢を楽しむ映画があっていい。僕は大いに酔った。
芳賀俊
タイトルで宣言された通り、夢現を彷徨い歩くような映画体験だ。儚くも芯のある眼差しの山﨑果倫と共に過ごす奇妙な時間には、都楳勝監督の前作『蝸牛』と同じく粘り気のある毒が通低音として流れている。都楳監督の世界はどこか甘くグロテスクで、そんな世界の中で山谷花純が主人公と観客の心に爪痕を残していく。
この映画が提示する「感動」は一般的な意味のありきたりな感動ではなく、観客の心の深い所に知らぬ間に作用する何か底知れないものだ。その「感動」は、あなたの耳元で「夢から醒めよ」と囁く。
平泉春奈
タイトルの通り、夢そのものみたいな映画だった。サイレンや水の音、日常の雑音の中にポツリポツリと会話がこぼれていく。生きることを諦めながらもどこかに救いを探す2人の感情が、夢と現実の境界線を曖昧にしていく。だんだん見てるこちら側も思考が停止していき、流れゆく映像に身を委ね、会話一つ一つの深い意味など考えなくなる。
夢想的な感覚が続く中、女の子が初めて顔を歪めて涙を流す瞬間、主人公たちと一緒に私の心も夢から醒めた。あるモノローグと一緒に見せる穏やかな表情の女の子に、心底ホッとした。一年に数回ほど見る忘れられない夢、そんな映画だった。
風歌
映画を見終わった瞬間、深い闇の中から自分がぽわっと浮かび上がったような気分になった。
夢と現実の間を揺れ動くストーリーの中でのタエコとショウのやり取りに深く引き込まれ、自分自身の心が、感覚が、失われるような、不思議な夢の中の世界を味わう映像体験。
けれど見終わった後、そこに居なかったはずの自分の心が少し救われたような気がした。
船曳真珠
眼ざすことを恐れる男と眼ざされることを恐れる女、そして眼ざし眼ざされることを拒絶する女。この三人が織りなす視線の網に、私たちは知らぬ間に捕らわれる。都楳勝は前作同様、現代のエロスの混乱を写し出し、迷宮をさまよう快楽を与えてくれる。
松永天馬
夢の中は、記憶と想像、つまり過去と未来の断片で出来ている。
それらのフィルムを繋ぎ合わせれば一篇の映画になるだろう。
目醒めているときに夢を見せる試み。
現実と夢を越境しながら生きる試み。
それが映画と呼べるものかもしれない。
まつむらしんご
この映画を観る数日前に『幻想と混沌の美を求めて』というタイトルがついたデイヴィッド・リンチの本を読み終えたばかりだった。
なのでどこか運命的なものを感じた。
夢と現実が交差する多重構造を使いながら、実体のない愛を描こうとする挑戦的な映画だと思った。
夢も嘘。現実も嘘。愛も嘘。そして映画もまた嘘。
嘘にまみれた暗闇の中でしか、案外、小さな光は見つけられないのかもしれない。
この映画が発見した光が、誰かの暗闇を照らしますように。
森優作
題名の通り、いろんな夢を垣間見ました。それは良い夢なのか、悪い夢なのか。
いつも何かに夢を抱きながらこの仕事をしている自分もふと、今夢なんじゃないか、って思ったり思わなかったり。すごく綺麗な映像が、そんな不安定なものに一つの希望を与えている気がしました。
安村栄美
始まって、「素敵なショットが…」と思って見ていたら、意外にも〈オシャレ〉みたいな映画ではなく、生と死の狭間にある世界へと誘われる感覚を覚えました。画面には普段私たちからは見えない霊的な次元が広がり、そこに足を踏み入れたくなるような、同時に決して歩みたくないような、鮮やかで美しく、そして切ない夢の中に身を置かされます。異能監督 都楳さん、そう来たかー!
山西竜矢
空しさや不気味さに満ちたシーンの連続のはずなのに、気付くと清々しい気分になっているのはなぜでしょう。タイトル通り夢の中のような世界ですが、確かに現実に接続している気が、僕にはしました。
あいまいな風景を遊泳する、道のないロードムービーのような映画。